2015年10月 6日 (火)

何も書かないまま

何も書かないまま年月が過ぎてしまった。

フェイスブックを勧められ、そちらに記事を書いていた。

それはそれで面白いけど、どうもわからないことが多く

こちらは深いことがかけそうなので、復活させます。

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2013年5月29日 (水)

白鳥の歌第十四曲「鳩のたより」

白鳥の歌第十四曲「鳩のたより」

ザイドル詩の、絶筆となった愛らしい曲である。

シューベルトの最後が「影法師」でなくてよかったと、救いを感じる。

「白鳥の歌」は連作歌曲として作られておらず、

シューベルトの意図とは関係なくまとめられた歌曲集である。

そのため、有識者の歌手の中には歌曲集として認めない人も多い。

ただ、晩年の作品群としての紹介でもよい。私は晩年の歌という意味で

「白鳥の歌」を取り上げている。

ヨーロッパでは「白鳥の歌」に「いまわの際の言葉」という意味がある。白鳥は滅多に啼かないがいまわの際にだけ、美しい啼き声をあげる。

そのことから優れた芸術家の晩年の作品を意味するようになった。

「鳩のたより」は、作品としては死に直面した凄みはない。

曲の最後、「みささん、知っていますか・・・」これは誰に向けられているのだろう?

客席に対して、である。

ここで詩人、作曲者、演奏者、聴衆が一本で結ばれる。

14.鳩のたより

僕は一羽の伝書鳩を飼っている。
その鳩献身的で忠実だ。

目的地にたどり着かないことはなく、

また通り越してしまうこともない。
僕は鳩を何度も送り出した。
いつもの便りを託し

いつもの慣れた場所を飛び、愛する人のもとへ。

そこで鳩は窓から密かに中を覗き、

彼女の眼差しを見つめ、足音にこっそりと聞き耳を立てる。 
僕の言葉を戯れに伝え、返事を受け取ってくる。

もう手紙など書く必要は無い。僕の涙を届けよう。
おお、鳩は涙なんか運びはしない。

しかし献身的に僕に尽くしてくれる。

昼も夜も、目覚めていても夢の中でも、

鳩にとっては全てが同じで、
飛び立つことができれば、それで満足なのだ。
鳩は疲れを知らず、元気がなくなることもなく
行く道はいつも新しく、ねぎらいも求めない。 
それほど僕に忠実なのだ。
だから僕も鳩を胸に抱き、

いちばん望んでいる返事を持ってくることを信じている。

皆さん、知っていますか?この鳩の名は「憧れ」

誠実な心をもった使者のことを。

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2013年5月28日 (火)

白鳥の歌第十三曲「影法師」

白鳥の歌第十三曲「影法師」

ハイネ詩の最後は、シューベルトが登りつめた領域ともいえる。

要するにシューベルトはドイツ歌曲という分野を開拓し、31年の生涯で完成させた。

ドイツ歌曲、いわゆるドイツ芸術歌曲と他の歌曲と、何が違うのか、

独立した芸術的詩に音楽を加え、ピアノは心理、情景、雰囲気等の描写する、

自然発生的ではなく詩と音楽を融合させた人間の手による作品を言う。

「影法師」は、もだえ苦しむ自分の分身を歌っている。

歌っているというより「語る」と言ってもよい。その要素が際立っている。

ピアノは雰囲気を必要最低限の音で描写する。

パッサカリアとい手法、繰り返される低音部は歌い手を追い詰めていく。

同じ音形が繰り返されると、逃れようのない狂気を思わせる。

13.影法師

静寂の夜、町は眠りについている。
かつてこの家に、恋人が暮らしていた。
彼女は既にこの町を去った。 
しかし、その家はまだ同じ場所にある。

そこに一人の男が、空を見つめている。  
その男は苦しみに両手をねじり合わせている。

その姿を見たとき、僕はぞっとした。
月明りに見た姿は自分そのものだ。

影法師よ、血の気の失せた友よ!
なぜ僕の愛の苦しみを真似るのだ?
以前、幾晩もこの場所で繰り返された姿を! 

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2013年5月27日 (月)

白鳥の歌第十二曲「海辺で」

白鳥の歌第十二曲「海辺で」

これほど官能的な詩、官能的な歌があろうか、と思う。

個人的に最も好きな曲で、当然難易度も高い。

まるでコラールのように曲が進み、やがてトレモロとともに波がざわめく

これは抑えきれない心の高揚であろう。

「白鳥の歌」全曲はこの曲を基準に

この曲が人前で満足に歌えるようになったら全曲歌おうと思っていました。

初めてリサイタルで歌ったのが15年ほど前で

ちょうど末娘が生まれた翌日でした。

12.海辺で

海は夕焼けの名残り光の中で遠くで輝いていた。
僕たちは黙って二人きり、漁師小屋の前に座っていた。
霧が立ち昇り、潮が満ち、かもめが飛びかていた。
君の愛しい瞳から涙の雫が下へとこぼれた。

僕は涙が君の手のひらに落ちるのを見た。
そしてひざまづき、君の白い手に唇を寄せた。
その時から僕の身体は病み、魂はこがれ、失なった。
その不幸な女は、その涙で僕に毒を盛ったのだ。

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2013年5月25日 (土)

白鳥の歌第十一曲「街」

白鳥の歌第十一曲「街」

次の時代にタイムスリップしたかのような曲である。

右手のアルペジオ(分散和音)は同じ音程で往復する。

同じ音程は中心になる音がなく、さまざまな効果を生む。

2度なら「鉄腕アトム」の主題歌の冒頭で、無限の空間を表すようだ。

3度は教育テレビの4年生の理科などに使われる、ファンタスティックな感じ、

しかしここでは短3度、ディミニッシュといわれる不安を掻き立てる響き

火曜サスペンスに使われている。

このアルペジオは舟を漕ぐ櫓であろう。夜明け前、

深緑の川面、無口な船頭さえ映像で想像できるほど。

中間部に繰り返される場面は、歌い手を突き放すかのように冷たい。

11.

遠く地平線に、霧の中の絵のごとく現れる

塔の立ち並ぶ街。

夕昏の中に包まれている。

湿った空気の流れが、波立たせている。  
灰色の水の行く手を、船頭が悲しげに櫓をこいでいる。

陽が再び昇り、大地を照らし、今ここにいる場所をはっきり示す。
そして恋人を失った場所を示すのだ!

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白鳥の歌第十曲「漁師の娘」

白鳥の歌第十曲「漁師の娘」

実に軽やかな、愛らしい旋律。

恋する漁師の娘に、ハイネらしく一方的に愛情表現を歌う。

心の潮の満ち引きを転調で表しているので

特に中間部はハイネに歌わされ、落ち着きなく歌う。

単純そうに見えて技巧的な要求が高い。

特に高声に跳躍するあたり・・(私は好きです)

10.漁師の娘

可愛い漁師の娘さん、小舟を岸に寄せて!
僕のもとへ来て手を取り合って座ろう。

君の頭を僕の胸にもたれさせてごらん。

そんなに怖がることはない。
君は毎日、荒れる海に何の心配もなく

その身を任せているではないか。

僕の心も海のように、嵐もあれば、潮の満ち引きがある。
そしてたくさんの美しい真珠が

奥底に眠っている。

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2013年5月24日 (金)

白鳥の歌第九曲「彼女の絵姿」

白鳥の歌第九曲「彼女の絵姿」

全世界の苦悩を背負うアトラスから一転して

失った恋人の肖像画が飾られてある小部屋が場面となる。

前奏は空虚な単音が2回、薄暗い小部屋の空気が止まっている情景を思わせる。

これほど悲しい歌があろうか。

空虚なユニゾン(ピアノ、歌が同じ旋律)でおぼろげに失った恋人の肖像を見ている。

それが生気を帯びたかのように見えたとき、明るい和音が伴う。

ここが悲劇の頂点である。

ユニゾンの使い手としてはモーツアルトが最も好きであるが、

この歌のユニゾンは格別!

.彼女の絵姿

僕はおぼろげな夢の中で、彼女の絵姿をじっと見つめていた。
そしてその愛しき顔は、密やかに生気をおび始めた。
心を打つほどの笑顔が彼女の口元からこぼれ
そして彼女の二つの眼が、憂愁の涙のごとく輝いた。
僕の涙もまた、頬をつたって落ちていった。
ああ!信じることができようか、恋人を失ったことを!

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2013年5月23日 (木)

白鳥の歌第八曲「アトラス」

白鳥の歌第八曲「アトラス」

死の年の初め、ハイネの詩集に出会い6曲の歌曲史に残る作品を生んだ。

アトラスという名は様々な場面で耳にするが

これはギリシャ神話の、ゼウスにより「地球を背負う」罰を与えられた者をいう。

群を抜いて壮大な曲で、ピアノパートは交響曲を思わせる。

全世界の苦悩を背負う。「苦悩」を「罪」と訳したら宗教的な意味になり

この曲は感情過多と揶揄されることもある、が、

決してそうは思わない。

この曲は自分自身の内面を歌い、その苦悩は自分自身にしかわからない。

それが全世界の苦悩を背負う絶叫。

.アトラス

俺は不幸なアトラス!
全世界の苦悩を背負わねばならぬ。
俺は耐え難いものまで背負っている。
そしてそれは体の中で心が張り裂けてしまいそうだ。

誇り高き心よ、それはお前自身が望んだこと!
お前は永遠の幸福を求めたのか。
さもなくば永遠の孤独を求めたのか。
誇り高き心よ、かくして今、お前は孤独にあるのだ。

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2013年5月21日 (火)

白鳥の歌第七曲「別れ」

白鳥の歌第七曲「別れ」

18歳の作品「魔王」、冬の旅の「郵便馬車」など

騎乗の歌はこれが最後の作品になる。

Ade」は一般的に別れの時に使うWiedersehen違い

二度と会わないという意味がある。どちらかと言えば詩的な言い回し。

北ドイツでは使われず、南ドイツのみ使われるのでフランス語の「Adieu」からきているのだろうか?

なかなか完璧に日本語に訳すのは不可能だが

詩を読めばWiedersehen(再び会う)ではないことがわかる。

しかしこの曲からは悲しい別れではなく、新たな旅立ちが伝わってくる。

ピアノは常に軽やかに馬の駆走を奏で、「Ade」は調を変え第6節まで続く。

転調はちょうどカメラ目線が変わるように、様々な角度から表現される。

最終第6節は、それまでの明るより、遠く憂いを残している。

.別れ

さようなら、賑やかな楽しい町よ! さようなら。
馬は喜び勇み、軽快な足取りで、今にも走り出しそうだ。
さあ、最後の別れの言葉を受けておくれ。
お前は今まで、悲しげに見送ったことはなかった。
だからこの別れに際してもきっとそんなことはないだろう。

さようなら、緑茂るの木の庭よ、さようなら。
僕は馬に乗って銀色に輝く流れに沿って走る。
僕の別れの歌を遠く鳴り響かせよう。
君たちはまだ別れの歌を聴いたことがないね。
だから僕は別れの歌は贈らずにいよう。

さようなら、愛らしい娘達よ、さようなら。
君たちは何をそんなに茶目っぽい眼で
僕を見ているんだい?花の匂いで包まれた家から・・・
いつもなら、僕は声をかけて振り返るが、
馬は決して後戻りはしないよ。

さようなら、沈みゆく太陽よ、さようなら。
かすかに輝く金の星は、
天の星達はどれほど和ませてくれることか。
広大な世界を渡り歩く僕たちに、
君たちはいつも親切な道しるべとなる。

さようなら、明りが灯る窓よ、さようなら。
君たちは夕日の光りと共に優しく輝く。
そして僕たちを小さな山小屋へと親切に招く。
ああ、この前を何度も通ったものだ。
そしてこれも今日が最後になるのだろうか?

さようなら、灰色に身を隠していく星達よ、さようなら。
くすんだ窓に消えゆく光は、

数多くの星達の代わりにはならない。
僕はここに留まらず、先へ行かねば。
君たちがまだ忠実に僕についてきてくれる、という事が
いったい何になろう。

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2013年5月20日 (月)

白鳥の歌第六曲「遠い国で」

白鳥の歌第六曲「遠い国で」

世捨て人となった若者の歌。

いきなりピアノパートの単音ではじまる。fpの指示がある。

昔のピアノ、おそらくハンマーフリューゲルではすぐに音が衰退するから可能で

現代のピアノではfpは不可能、と思いきやペダルの裏ワザでできる。

冬の旅を思わせる世捨て人は、ゆっくりとした足取りで

やがて長調へ転調し、音楽が動き出し、「自然」と対話する。

さて

この曲は体力と精神力が必要な、音域の広い長大な難曲です。簡単には歌えません。

歌い手は来た音符を声にしているのではなく

難曲ならば難曲ほど綿密な計画を立てます。気分だけで歌えれば楽ですけど。

ちょうど高速道路の標識のように、高速で走りながら前もって注意事項を見るように、

その中に自分のテクニックをはめ込んでいきます。

少しでも、たとえばブレスが浅かったりすると最後まで影響します。

この曲では三つの「企業秘密」を駆使します。

一つは冒頭に書いたピアノの奏法、

もう一つは長いフレーズを歌うブレスの秘密、

そして声域を超えた低声を出す秘密、です。

.遠い国で

悲しきかな、人里を離れ、逃れゆく者、 
見知らぬ地を歩き、故郷を忘れ、
己が家を呪い、友を捨てた者には、
いかなる祝福も、ああ、

その道は閉ざされる!

   
こがれる心よ、涙する瞳よ。
終わりをしらぬ望みは、故郷を求める。
胸は高なり、嘆きは絶え、
輝く星は希望なく沈みゆく。

さわさわとそよ風が音を立て、

優しげにさざなみが立ち、
陽の光は夜に向かい、留まることを知らない。

苦しみと共に我が誠実な心を引き裂く者に、
世を捨て、さすらう者の言葉を贈ろう。

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